保育士資格 過去問 令和4年(2022年)前期 問15
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保育士の過去問 令和4年(2022年)前期 保育原理 問15 - 過去問ドットコム (kakomonn.com)
私なり解説
A エ、野口幽香(のぐちゆか)(生涯独身)
保育の灯 野口 幽香④子ども、そして信仰 - 福祉新聞 (fukushishimbun.co.jp)
華族女学校…華族とは、大名や公家のことをいう。地位が高く裕福。
野口は、幼少からよく勉強をさせてもらっていた。西洋の文化にもよく触れ、英語も勉強した。
華族女学校附属幼稚園で勤める。通勤途中に道端で見る貧しい子どもと、華族女学校附属幼稚園の裕福な子どもの差に心痛める。
やがて、同じ思いを胸にした同僚の森島峰と共に「貧しい子どもたちのための教育の場」をつくる(野口幽香、35歳)。
二人は子どもの自立性を重視した自然に広く接する教育を積極的に採用していたフレーベルの教育(自由に伸び伸び育てる考え)を、日本の貧しい子どもたちにも与えることを目指した。
85歳まで事業拡大に尽力した。
全ての子どもに教育を。私立幼稚園を創設した野口幽香の功績 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン (intojapanwaraku.com)
B イ、土川五郎(つちかわごろう)
律動遊戯…歌詞のないリズムを楽しむ遊戯
律動的表情遊戯…歌詞のある遊戯
土川は岐阜県出身で4歳の時に上京し、大人になって学校の職員になった(22歳)。
28歳頃に遊戯に興味を持ち始める。
その後校長や、幼稚園の園長に就任し、小学校教育界の指導的地位に立った。
創作活動、執筆活動、講習会などの普及活動に尽力した。
75歳に亡くなる。
C ア、松野クララ
松野クララはドイツの首都ベルリン生まれ。ドイツで日本人男性の松野礀(まつの はざま、林学者、農商務省官吏)と結婚。(日本人男性とドイツ人女性の国際結婚の第1号)
東京女子師範学校付属幼稚園にて、初代園長の関信三の下で首席保母となり、 豊田芙雄(ふゆ、女性)[6]・近藤濱を保母として、フレーベルの恩物の使い方や遊戯、実際的な保育の技法を通じて、フレーベルの教授法を初めて日本に導入した。
また、日本で初めて子どもたちとピアノで遊ぶことを導入した人物ともいわれている。
D ウ、東基吉(ひがしもときち)
日本に導入された恩物教育は、フレーベルが目指した「自由に伸び伸び楽しめるもの」とはかけ離れて、決められたルールの範囲でのみ利用されるものだった(子どもを横一列に並ばせて、先生の言う通りに積み木を組み立てさせるなど)。
それに疑問を感じた東は、恩物中心主義を批判した。
「日本のフレーベル」近代保育を創り上げた人物、倉橋惣三とは|お役立ち保育コンテンツ|保育士の転職求人なら「保育ぷらす+」 (hoikuplus.com)
オ、倉橋惣三 も恩物主義を批判し、自由で伸び伸びとした本来のフレーベル主義を支持していた。
幼稚園保育法(明治37年)の著者は東基吉なので、Dの答えはウ。
子ども大好き倉橋先生↑
卒業記念写真帖(昭和16年3月、文科)倉橋惣三先生 (ocha.ac.jp)